お正月に85歳の母を連れて温泉に行きました。
着いた日の温泉、食事を楽しみ、翌朝、
まだ眠ている母を起こして朝風呂へ。
内湯で体を温めてから露天風呂に行き
「気持ち良いね」と上がろうとした途端、
母が足を滑らせて手すりに胸を強打。
肋骨を折るという事態になりました。
その日は無事に帰宅したものの、その後も痛みが強く、
胸をかばって前かがみになる姿は
悲しいものがありました。
レイキヒーラーでもある私は、
実家に行く度に母にレイキをするのですが、
先日レイキをしている時、
突然心の中に「おかーさーん!」と
叫ぶ私の声が響きました。
私は母をずっと「ママ」と呼んできて、
他の人に話す時以外一度も「おかあさん」と言ったことがないのに。
それは「母なるもの」を求める幼子のような叫びでした。
これまで何度も言い争ったり、嫌いだと思ったり、
母と娘の確執がありましたが、根源的なところで、
私は母を求めているのだと分かりました。
人間は、実際のお母さんであったり、自然であったり、宇宙であったり、
自分の根本の命を生かしてくれている「母なるもの」の恩恵なしには
生きて来られなかったのだと実感した瞬間でした。
これからも母と言い争いはあると思いますが、
根源的な母の恩恵を知った私は、
少しだけ表現が優しくなるのではと思っています。