お釈迦さまが言った「足を知る」という言葉を聞くと
「確かに」と、襟を正す気持ちになるのと同時に
「欲張ってはダメ、我慢しなさい」と言われているような気がして
100%は同感できない気持ちがありました。
また、「足を知って現状に満足したら、人は向上しないのでは?」とも。
でも、この間、瞑想していて思ったのです。
穏やかで深い瞑想ができた時の「満足感」
派手ではないけど、ジワジワ、フワーッと「幸せ〜」と暖かく満ち足りた感覚
それが「足を知っている状態」なのではないか…と。
瞑想で、そんな感覚が得られた時は、
今自分に与えられているものに
素直に「ありがとう」と感謝の気持ちが湧いて来て
足りない部分も「まあいっか」と気にならなくなります。
「足を知る」を
アレコレ頭で考えるより、
「足を知る感覚」を瞑想で感じる方が
分かりやすいのかもしれません。